銀行を退職
ようやく自由を手に入れた。
東京・丸の内にある本部に通勤していたが、それが必要なくなった。
じゃあどこに住もうか。25年前に購入したマンションは3LDK。贅沢を言ってはいけないが広いとは言えず、自分の家なのに駐車料金がかかり、庭先で洗車することさえできない。
私は仙台育ち。実家は郊外の住宅地の一戸建て。大学卒業までそこで過ごした。
一戸建てとは、車は目の前にあり、冬タイヤも当然自宅で保管し、ちょっとした野菜や果実は庭で採れる。自分が好きにできるスペースがあって土もある。それが当然だと思っていた。
仙台在住時代から東京には強い憧れがあった。
だから、東京に本社がある銀行に就職したが最初は仙台支店勤務。2年半後、憧れの東京本社勤務が始まった。
丸の内の緊張感・すごい東京
東京駅丸の内北口を出て横断歩道を渡り、大手町方面へ。東京で最も洗練されたビル街。そこを歩く自分は何となく誇らしかったけれど緊張感も強かった。心のどこかに仙台の田舎者としての劣等感みたいなものがあった。
東京には確かに凄いものがたくさんあり、人も圧倒的に多くて刺激的。仙台は東北の首都なんて言われるけれど、全く勝負にならない。仙台が田舎というより、東京が凄すぎる。
東京生活の初期は隙あらば仙台に帰省し、故郷の空気と水に癒された。東京の刺激は楽しいが疲れる。仙台駅のホームに降り立ち、東京とは明らかに違う香りの空気に触れた瞬間、肩の力が抜ける。
背中を押してくれた妻
子供の顔を見ながらそろそろ自分の家を、と思った。もちろん一戸建てが欲しかったけれど、購入可能な価格帯で比較すると、戸建てはマンションより通勤時間が30分長くなる感覚だった。
新宿まで20分の私鉄沿線。その3LDKのマンションに居住しながら退職の日を迎えた。
仙台の実家は震災で半壊し取り壊し。土地は更地になっていた。f
あれほど帰りたかった仙台。でも、東京での生活が長くなり、人間関係も長きにわたり東京で育まれて来た。妻は広島育ち。仙台には無縁。
最適解はおそらく、東京に立派な一戸建てを建ててそこを終の棲家とすることだろう。とは言っても・・・
ひところ話題になった老後2千万円問題なんていうのもあって、全財産をつぎ込むわけにもいかない。一戸建てと言っても地価が高い東京では小さな建売ぐらいしか手が届かない。仙台の土地に建てれば建物代だけで済む。
ある日、意を決して妻に相談。東京の小さな建売を買うより、仙台の土地に注文住宅を建てたいと。
妻は思いがけず了承。私はどこでも生きていけるからと。有難かった。この一言で決まった。でも、その決断が本当に正しかったのか、今でも自信がないというのが本音。
その日から東京の多摩地区の住宅展示場を渡り歩き、自分の終の棲家のイメージを膨らませていった。
ハウスメーカーを最終的に2社に絞り、プラン作成を依頼。両者甲乙つけがたく、迷った末に決定。
打ち合わせを重ね、間取りや住設機器を決めていった。楽しい時間だった。
美しい仙台に新居完成~しかし・・・
ゴールデンウィークに仙台を訪れる人は幸運だ。定禅寺通りや青葉通りのケヤキ並木が透明な黄緑色に輝く季節。ごく短い期間だが、あの色は仙台でしか見られない。東京の甲州街道のケヤキも美しく立派だが、色が濃い。ようやく強くなり始めた日の光があの薄い黄緑の葉を透き通らせる。
そんな素敵な季節に家が完成し、私は仙台に戻った。快適。しかし東京は遠くなった。よく知っている筈の仙台は微妙に街の姿を変え、発展の裏で問題も抱えていた。若いころは気にも留めなかった事柄に強い違和感を持つことも。
自分の中のスタンダードが東京のそれに入れ替わっていた。現在の東京に仙台が追い付くことは不可能だという現実。それは理解していたつもりだったが、住み始めて、その格差が想像以上に大きいことに気付いた。
だから今はまだ、この選択が正しかったと言い切る自信がない。答えはもう少し先になるだろう。

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